群雲から月

日々のいろいろ

年の瀬に思う

やっと年末。
休めない人がいる向こうで申し訳ないけれど、数日間しっかり休んで来年からの生活を整えようと思う。

考えているのは、今後は実家のことを一切しない。
留守中に見回りや掃除に行くのはいいけれど、母の世話はしない。
まぁ起き上がれなくなったら流石に要介護認定はされるだろうから、これからは介護員などが家に来てやってくれるのだろうけど。
彼女のわがままに疲れたのだ。

引き金になったのは、私が予約して取りに行ったクリスマスケーキに一口も口をつけないうちに、「あんこ食べたくない?」と家にないものをねだり出したこと。
昔から相手の気持ちを考えずものを言うところがあり、そんな言い方ないだろうと抗議すると「だってそう思ったから、そう言ったんだもん」と開き直る性格なので、歳をとってそれは歯止めがきかなくなるんだなと感じた。
連日の勤務でくったくたになってるところへ自分のことも後回しに実家の片づけを優先して来ているのに、「そんなの当たり前だろう」とも言われたので、流石に殺意を感じた。
危なくクリスマスの惨劇が生まれるところであった。
親を介護していて危ない気持ちになるのはこういう時かもな、と悟った。
病院にいてもらった方がいいというのはそこで、わがままを言いだすと看護師さんはきっぱり冷たくなり、しまいには退院を勧められるのでそこそこ気を使わざるを得ない。
ところが身内が相手だと、ダダもれのわがままは丸ごと身内の負担となり、がんじがらめにされる。
これは危険だ。

そして毎日の勤務時間も、生活していける程度に減らしていこうと思う。
お金の使い方を含めて、ちゃんとマネージメントし直そう。






病みあがりの独り暮らし

毎週末実家に通っていたのだが、今回は行かないと朝、電話を入れた。
今週のクリスマスにはどうせケーキ持って行くし。

で思ったのだが、毎週実家に通って家事をする必要があるのだろうか・・・。
自分も無理がきかない体で、フルタイムで働いてる。
先週のように仕事を休んだ日には、むしろこっちが誰かに来てほしいくらいだった。
やっぱり母には、早いうちに受け入れ先を探してもらわねば。

外食すると言っても、休みなのにわざわざ出かけるというのではなく、仕事帰りに「これから帰ってご飯づくりか~タルいな~」という時の"ついで"でしかない。
独り暮らしだから、かえってそこで栄養が摂れているということもある(お恥ずかしい)。
誰かと会うことが目的ではないのでぼっち行動だし、長居はしないので、これは許されてもいいんじゃないかと思っている。

そんな中、初めて一人で花まる寿司に入った。
記念すべきだと思ったのでインスタに挙げたw
生の鰊、美味しかったなぁ~。
誰かと共有できないのは淋しいけれど、コロナだからしょうがない。
なのでせめてインスタで。

こんなふうにネットを使っていくように世の中なっていくのかな、と思った。





honeycomb

これからは多様性を認めていかなければ共存できない時代だと言われている。
それに関して異論はないが、やっぱり私なりのルールから逸脱した行動は受け入れがたい。

プライベートなら、マスク無しで外出する人とか
飲食店ならマスク無しでもOKだと勘違いするオーバー中年とか
根本的に自分が大丈夫なら何してもいいと思ってる自己中野郎とか。
そういう人たちとは会話もできないので(マスクしないからw)友達にはなれない。

もともとFacebookではビジネス繋がりが多く、「なんでそういうのと繋がるんだろーうざいなー切っちゃいたいなー」と思っていたら、「コロナ禍で仕事が大変です助けてください」と泣き言を言ってきたのでますますうざくなった。
ビジネスと私情を混同するなよ(不誠実であれと言ってるんじゃないよ)。
大変な時になると人の本性や物事の本質が見えるという。
であれば、ビジネス噺以外に聞くことのない人たちとはこれを機にサヨナラしようと思う。

オフィシャルでもきっぱり線を引くので、私の生活全般において線のこちら側に残る人は、何をきっかけに知り合うにせよ、価値観が一緒かかなり近い人のみになる。

相容れない人とは離れればいい。
仲良しごっこに命まで賭けてなどいられない。
これが私の、共存の解釈だ。





調整

ここ最近疲れが出てきた、と書いたけど

よく考えたらほとんど仕事してなかった者が、いきなり一日八時間拘束、しかも慣れない仕事で、その上毎週実家で家事なんてやってたら、そりゃ疲れるのは当たり前だ。
ちょうど一か月経過したところで、どっと疲れが出たんだろう。

毎日夕方にあがれると言ったって、帰って食事作って一息ついたらもう寝る時間。
それが週五日、毎週続く。
この一か月間、睡眠不足が蓄積されていたに違いない。
病気になる前の若かった私でもフルタイムはきつかったのに、ましてや今なんて、無理でしょう。

ということで。
最低いくらあれば生きていけるのか(家賃、光熱費、生活費を払っていけるのか)を計算し、その分だけ働こうと決めた。
その方が体力も温存できる。
また病気になるまで無理して働く気はない。

そのへんの計算がかみ合わなくなったので、昨日は一日休んで頭を更にして予定を組みかえようとしたんだ。
また占星術の話になるけど(笑)、イケイケの木星が今後どんどん遠ざかっていくことで、今までフルスロットルで走ってきた自分にはたと気づき、今後の調整をはかる必要性に気づいたんだろう。
なんて影響を受けやすい自分の体・・・。

また外あそびを控える生活に戻るなぁ。
まぁ世の中コロナだし。

トリガーは外された

離婚して(2018.4)
独り暮らしを始めて(2019.6)
入院して(2019.11)
転職して(2020.11)
と、いろいろあった土星山羊座期。

まがりなりにもなんとか生活基盤は作れた・・・と思ったら、一気に疲れが出た。
特に2019年秋からの一年間は怒涛だったので、その分の疲れと言ってもいい。
世の中コロナだし。
これで再発したらまた別のフェーズになるので、後日の検診結果がちと怖いが、ここまでで一応ひと区切りとする。

これから自粛はもっと厳しくなるんじゃないかな~というのが占星術師の言ってることで。
そうなると「あの時、行きたいところに行っといてよかった」という今までの台詞はもう、「その時行ったから今こうなってるんだよ!」と責められること必至になる。
「他人のために自分の欲求を我慢することが出来ない人なんだね」というレッテルを貼られる。
そういう人が私を気遣ってくれるなんてありえないから、私から離れることになる。

地元で
少人数で
マスクして
短時間で
食事することすらできない人は、マナー知らずの非文化人。

そうやって、私の人間関係はきっぱりとわかれていく。
それでいい。
私を守ってくれる気などない人を、私の方から守ろうとする行為は美しいものだから改める必要はないと、今まで思っていた。
でも私は今度から、自分のことを優先する。
そうすることで、他者を侵害することもないと気づいたから。

おそらくこの先に出会うのは、同じような考えの人たちだろう。
これから死ぬまでに縁のあるのは、そういう人たちだろう。

出会えることを、楽しみにしている。









河岸を変える

近所の居酒屋のスタッフに「お酒入れ替えの宣伝をしてくれたら、私近くに住んでいるからすぐ飲みに来るよ」と言ったらそのとおりにしてくれたので、義務があると感じて何回か通ったのだが。
そこで過去の遺物のような異業種交流会の人たちと、何度か出くわしてしまった。

名刺交換など今どきやってることをどうこう言うのではない。
マスクなしで酔った勢いで嬌声を上げる人間が、このご時世にいることにまず驚いた。

丁度その日は、コロナモラルの緩い70代の職場の男性からの飲みの誘いを、断ったこともあった(注・一対一ではない)。
「そっちはうつってもいいと思ってるかもしれないけど、私にとっては身銭切って家族を危険にさらしてまで飲みに行きたい相手じゃない」という本音は勿論出さなかったが、一人で入った店でも同じ思いをしたので、こりゃ河岸を変えなきゃな、と思わざるを得なかった。

しかしこれは、私のアドバイスをきいてくれた若いスタッフの本意ではないと思う。
おそらく店の社長が、そういう客を呼んで収益をはかることしか思いつかない古いタイプの人間なのだろう。
今までだったらどんな客がいようが構わず飲んでいれば良かったけれど、この時代、本当に思想やモラルの違う者同士に境界線がはっきり引かれるようになった。
命がかかってるからね。

まぁこれであの店に義理はなくなったが、若いスタッフにはコロナに気をつけてがんばってほしい。
私は老舗の人けのない店で、ひとりしっぽりと飲むとしよう。

主体的に生きるということ

おそらくギリギリラインで職場の筆記試験に通った。
今後は実地に慣れていくしかないのだが、これからの人生は「無理せず長生き」がモットーなので、ストレスをためない程度にやっていくことにする。

無理をして成績上げたって誉められるのは一瞬。
そのストレスで命を縮めてもしょうがない。
病気になって初めて「寿命」というものを考え、コロナで世間の冷たさを知り、「自分を護るのは自分だけ」という思いに至った。
仕事を替え環境を変え、思うように残りの人生を生きようと決めた。
ここまではパーフェクトでなくても思惑通りに進んでいる。
順調順調。

不安がるのは、未来が長くあると思っている者たち。
おまけでもらった残りの人生は、自分が主役で生きてやる。
トラブルも失敗も、私が主役のドラマだ。